2026年 8月 27日
【第4回】日本人留学生がリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツを12万円で買っていた1990年代という時代

大学3年生になると学校に行かずにアルバイト漬けの日々を送り、留学資金を貯金しました。そして大学4年の年に休学して、結果として2年のイタリア生活が始まります。なぜフィレンツェを選んだのかって? それは洋服はカッコいいし、ご飯も美味しそうだし、女の子もかわいいし、というしょうもない理由です(笑)。実際のところ街はきれいで歩いているだけで楽しいし、ご飯も最高だったし、なによりイタリア人の気質が大好きになりました。彼らの生き方や考え方って、徹頭徹尾シンプルなんですよね。

現地では当然語学学校に通ったのですが、もともと外国人に対するコンプレックスもなかったし、日本である程度勉強していたこともあって、だいたい3ヶ月くらいである程度イタリア語を喋れるようになりました。一生懸命勉強もしましたが、留学生を集めてパーティしたり、遊びまくっていました。
あの頃はまだフィレンツェで暮らす日本人はさほど多くなかったので、同世代の若者を見つけると、すぐに友達になりました。バイト先の土産物屋で知り合ったバッグ職人の大平智生さんがぼくの1年先輩。のちに靴職人として名を馳せる深谷秀隆くん(イル・ミーチョ)と鈴木幸次くん(スピーゴラ)が、少し後輩だったかな。ふたりは靴職人のロベルト・ウゴリーニさんの工房で働いていたのですが、すぐに意気投合しました。当時彼らは一緒に住んでいたのですが、毎晩お酒を飲みながら語り合ったのをよく覚えています。彼らは飲んでるときも靴の話ばかりするし、家に帰っても靴をつくっていました。ぼくと違って(笑)、本当に真面目だったなあ。
1990年代後半のイタリアは、今から思えば物価も驚くほど安かったし、楽しい時代でしたね。決してお金に余裕があったわけでもないのに、毎週レストランに通って、今や7、8万円するワインも開けていましたから。無理したらなんだって買える時代だったから、ビスポークのスーツや靴はあの頃に死ぬほどつくりましたね。ステファノ・ベーメル(靴職人)の穴倉みたいな工房でタバコ吸って世間話しして、ロリス・ベストルッチ(仕立て屋)やレオナルド・ブジェッリ(シャツ職人)の工房を覗いたり。
そういえば当時のステファノ・ベーメルでは俳優のダニエル・デイ=ルイスも働いていましたが(1990年代後半に俳優業を休止して靴職人修行していた!)、本当にカッコよかったですよ。イタリアで最も有名なテーラーである「リヴェラーノ&リヴェラーノ」でもスーツを仕立てましたが、あの頃はまだお兄さんのルイジ・リヴェラーノさんが健在で、ぼくの一着目のスーツは彼が仕立ててくれました。弟のアントニオ・リヴェラーノさんや職人の皆さんにもすごく可愛がってもらって、毎日のように工房に顔を出しては、仕立てについて教えてもらったものです。当時つくったリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツは日本円で約12万円、ステファノ・ベーメルの靴は約7万円。今や優に100万円は超えますから、若い子には考えられないでしょうね。
そんなふうにして、ぼくは紳士服における上質なものづくりや装いについて、イタリアの先生たちから教わっていったのです。

留学生だった90年代後半に仕立てたリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツと、ステファノ・ベーメルの靴はいまだ現役。いいものは長く使えるということを教えてくれた。
note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史
30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。
