【第7回】E-mailが存在しない90年代、ナポリ相手のビジネスは地獄だった

【第7回】E-mailが存在しない90年代、ナポリ相手のビジネスは地獄だった

20代なかばで起業した私は、田島淳滋さんのすすめで自宅の一室を事務所にして、シャツメーカー「バルバ」、スーツメーカー「サルトリア・パルテノペア」と「ラ ヴェラ サルトリア ナポレターナ」、トラウザースメーカー「マルコ・ペスカローロ」という4社のエージェントを務めました。いずれもナポリの会社で...

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【第6回】大阪市営地下鉄で壁を磨いていたぼくが、<br>バルバのエージェントになった理由

【第6回】大阪市営地下鉄で壁を磨いていたぼくが、
バルバのエージェントになった理由

そんなこんなで、とにかく楽しいイタリア留学生活を過ごしていたぼく。このままイタリアに残って仕事をするという選択肢もあったんですが、現地で出会った観光客のおばちゃんに「とりあえず大学だけは出ておき」と諭されたこともあり(笑)、とりあえず卒業だけはすることに決めました。帰国して一番最初に...

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【第5回】キートンとバルバは親戚だった!?<br>1990年代のファッションバイヤーは、〝わからない〟モノこそ買っていた。

【第5回】キートンとバルバは親戚だった!?
1990年代のファッションバイヤーは、〝わからない〟モノこそ買っていた。

あの頃のフィレンツェにはまだ個人経営のセレクトショップがたくさん残っていましたが、今では「プリンチペ」くらいでしょうか。寂しいですよね。今でもよく覚えているのは「エルマンノ・ダエリ」というショップです。デニムとジャケットにアスペジのダイヤキルトのダウンとか、カスカスに色の抜けたバブアー...

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【第4回】日本人留学生がリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツを12万円で買っていた1990年代という時代

【第4回】日本人留学生がリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツを12万円で買っていた1990年代という時代

大学3年生になると学校に行かずにアルバイト漬けの日々を送り、留学資金を貯金しました。そして大学4年の年に休学して、結果として2年のイタリア生活が始まります。なぜフィレンツェを選んだのかって? それは洋服はカッコいいし、ご飯も美味しそうだし、女の子もかわいいし、というしょうもない理由です...

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【第3回】あのときキートンのジャケットと出会っていなかったら、<br>ぼくは海の底に沈んでいたかもしれない

【第3回】あのときキートンのジャケットと出会っていなかったら、
ぼくは海の底に沈んでいたかもしれない

子供の頃からいろんなファッション雑誌を読み漁ってきましたが、ぼくがちょうど関西大学に合格して大学生になった頃(1993年)に創刊したのが、『MEN’S EX』です。クラシコイタリアという概念をいち早く日本に紹介したこの雑誌では、服飾評論家の落合正勝さんがナポリの超高級ファクトリーブランド...

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【第2回】今まで誰も語ってこなかった、<br>1990年代のリアルな大阪ファッションシーン

【第2回】今まで誰も語ってこなかった、
1990年代のリアルな大阪ファッションシーン

ぼくは1974年に大阪の天神橋で生まれました。ファッション的にいうと、まさに渋カジ世代ですよね。当然ぼくも古着とラルフ・ローレンにハマりましたが、一方で昔のアルマーニやヴェルサーチの世界も残っていたり、ドルチェ&ガッバーナが登場してきたりと、いろんなファッションカルチャーがごちゃ混ぜの時代...

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【第1回】〝クラシコイタリア〟を日本に持ってきた男〟<br>神藤光太郎がnoteを始めた理由

【第1回】〝クラシコイタリア〟を日本に持ってきた男〟
神藤光太郎がnoteを始めた理由

初めまして。東京の西麻布で「スピラーレ」というアパレル企業を営んでいる、神藤光太郎と申します。 もしかしたらYouTubeや雑誌などを通して私のことをよく知ってくださっている方もいるかもしれませんし、「こいつはいったい何者なんだ?」と訝しく思っておられる方もいるかもしれません。 アパレル企業...

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