2026年 10月 15日
【第11回】芯なし、洗い、そしてボリオリ。クラシコイタリアの邪道が王道に変わるまで

ぼくが本格的に上京したのは1999年のことでした。忙しさと比例して、クラシコイタリアのマーケットは急成長。東京での仕事が増えすぎて、通うのが限界になってしまいました。
1990年代後半から2000年代前半の日本は、ファッションや食事などの分野で、イタリアンカルチャーが徐々に浸透、成熟していった時代です。
その渦中にあっても、日々泥臭く数字に向き合っているぼくたちとしては、あまり実感はなかったのですが、たくさんのアーリーアダプターが登場したり、広告があふれていたこの時代は、世間的にいうとブームの域に達していたと思います。
そして、そのブームは2001年に創刊した雑誌『LEON』や「六本木ヒルズ」「伊勢丹メンズ」といった大規模な商業施設が登場したことで、決定的に。イケイケどんどんの時代の始まりです。
当時の主力ブランドはバルバやサルトリア・パルテノペア、キートンあたりでした。現在は吊るしで100万円を超えるスーツも珍しくないキートンですが、あの頃はまだ30万円くらいでしたから、地方でもかなり売れていたと思います。今だから言えますが、バルバのシャツはトータルすると年間2〜3万枚は売れていました。売り上げは・・・ご想像にお任せします(笑)。

バルバのCEOを務めるラファエレ・バルバ氏と。
家業だった町場のパジャマ工場をナポリを代表する
世界的なシャツブランドに育て上げた立役者です。
当時は我ながら驚いていましたが、ブームの最盛期はこれからです。
そのキーワードは〝洗い〟。
ボリオリに象徴される、製品洗いや製品染め(ティント・イン・カーポ)を施したジャケットがマーケットに登場したのは、ちょうどこの頃です。ぼくは「初めて洗いのジャケットをつくったのは俺だ」というイタリア人を5人くらい知っていますし(笑)、実はそれよりだいぶ前から存在していたのですが、マスマーケットにまで広めたのは間違いなくボリオリ。そのアイデアを出したのは、当時このブランドのコンサルタントを務めていた、ウベルト・カンタレッリさんです。
ウベルト・カンタレッリさんは、カンタレッリというテーラリングブランドの一族で、ウンブリア州でセレクトショップを経営していた方なのですが、コンサルタントとしても一流でした。この方が携わったことによって、比較的地味なブランドだったボリオリは急成長を遂げることになります。
もともとイタリアのテーラリング業界では軽いジャケットが好まれてきましたが、1990年代までは総毛芯(フルキャンバス)こそが最高で、半毛芯(ハーフキャンバス)は安物として見下されてきた歴史があります。そんな中、接着芯を使いながらも柔らかで上質なジャケットをつくって、旧態依然としたヒエラルキーを打ちこわしたのがボリオリ。高級素材であるカシミアの後染めや、ジャケットに「Kジャケット」とか「ドーヴァー」みたいな名前をつけるのも、ウベルトさんのアイデアでした。
ちなみに、今では当たり前になっているテーラリングブランドによる〝芯なし〟ジャケット(センツァ・インテルノ)が登場したのもこの頃ですが、何を隠そうこれをイタリアではじめてつくらせたのはぼく。2000年頃にぼくがラ・ベラ・サルトリア・ナポレターナのオラツィオ・ルチアーノさんにお願いしてつくってもらったのが最初で、その後ほかのファクトリーにも広がり、定着したものです。だから最初に流行ったのは日本なんですよ。2日で100着ほど売ったのは、ぼくの数少ない自慢です(笑)。

オラツィオ・ルチアーノさんが
1992年に創業したのが
ラ・ヴェラ・サルトリア・ナポレターナ。
現在は息子のピノさんが社長を務めています。
〝洗い〟と〝芯なし〟。どちらも昔ながらのテーラリングの世界においては邪道なシロモノでしたが、自分も含めた若い世代のアイデアが、デザイン的にも価格的にもマーケットで受け入れられたことで、そのほかのファクトリーブランドも追随します。この動きによって、クラシコイタリアの世界には新しい可能性が生まれた気がします。
余談ですが、イタリア製の洋服がここまで市場を席巻したのは、もちろん商品じたいの魅力に支えられてのことですが、洋服の生産背景の変化も大きいと思います。この頃、イギリスやフランスのものづくりが衰退していったことで、上質な既製服はイタリアでつくるしか手段がなくなってしまったんです。
1990年代後半に、オズワルド・ボーテングやリチャード・ジェームス、ティモシー・エベレストといった新世代テーラーによるブランドが一世を風靡したことを覚えていますか? 当時これらのブランドは多くのメディアを賑わせていましたが、日本に上陸するや否や大手アパレルメーカーによるライセンス生産に切り替わってしまい、あっという間にブームは収束。一過性のブームで終わらなかったクラシコイタリアとは異なり、今やその存在を覚えている方はごくわずかでしょう。すでにイギリスにはテーラリングの工場がほぼなくなっていたから、ある程度の規模でビジネスを成り立たせようと思ったら、ライセンス生産に踏み切るしか方法がなかったわけですが、そこにはブランドの本質が欠けていました。
今もなおイタリアのブランドが根強く支持されているのは、そこに確かなものづくりがあるからなんですよね。
note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史
30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。
