【第12回】年間1000着売れればいいと思っていたラルディーニが、クラシコイタリア史上最大の人気ブランドになるまで

日本のセレクトショップに並んでいるインポートブランドの商品は、たいていぼくたちのような「輸入代理店」を通じてバイイングされたものです。

海外のメーカーと契約を結んで、彼らにかわって日本市場での営業や販売、マーケティングなどを担当する業態なのですが、その施策によってブランドのイメージやセールスは大きく変わっていきます。

そういう意味で、SNSやオンラインストアがまだ普及していなかった2000年代後半は、この仕事の影響力は極めて高かったと思います。

前回お話ししたように、ボリオリが日本のマーケットで大躍進を遂げた背景には、輸入代理店を務めたアマンさんの絶大な尽力もありました。しかしその後、ボリオリとアマンさんの契約が終了して、別の輸入代理店さんが契約を結ぶことになります。それに伴い、ブランドイメージも刷新していくと。当然そうなると、マーケットには少し隙間が生まれますよね。

クラシコイタリア史上最大のヒットブランドといわれるラルディー二が日本で広まったのは、2009年から2010年にかけて。まさに絶好のタイミングでした。

ラルディーニというファクトリーブランドの存在については、ぼくはずいぶん前から認識だけはしていました。

マルケ州に拠点を構えるラルディーニは、イタリア・フランス・アメリカなどのさまざまなメゾンブランドを顧客にもつ、大規模かつ腕利きのテーラリング工場です。今はずっと拡大していますが、当時の社員数はだいたい200〜300人くらいでしょうか。自社ブランドにも力を入れていて、大規模なショールームを構えて立派なコレクションをつくっていましたが、その頃は〝売れる体制〟にはなっていませんでした。

当時のデザイン部門には、ピエール・プラートという元ピオンボのデザイナーが就いており、彼の紹介で社長のアンドレア・ラルディーニとお話ししたんですが、これがとんでもないキャラクターでした。典型的な叩き上げの経営者で、行動もしゃべり方もいい意味で荒々しい。関西人のぼくとしては好感を持てたのですが(笑)、そのときはご縁がなくて仕事には結びつきませんでした。

実は成功するブランドって、たいてい強固な営業部門があるんです。そして有能な営業のディレクターが、プロダクト部門やPR部門についても確固たる意思をもって統括する。当時のラルディーニには、そうしたポジションがいなかったんですよね。

マーロ、ロロ・ピアーナ、
インコテックス、クルチアーニといった
ブランドを経て、ラルディーニの営業部長に就任。
同ブランドに隆盛をもたらした
立役者がエンリコ・アイロルディです。

 

そんな状況に変化をもたらしたのが、ぼくの盟友であるエンリコ・アイロルディという人物です。彼はミラノ出身の営業マンで、リデアカンパニーがエージェントを務めていたニットブランドのクルチアーニを成功に導いたことで、すでに業界では有名でした。

とてもセンスの良い人で、時計という共通の趣味があったことから仲良くなったんですが、その後彼はクルチアーニを辞めてしまいます。話を聞いてみると、なんとラルディーニというメーカーから声をかけられているんだ、という相談をされました。ぼくは商品も見ずに言いました。

「お前がラルディーニをやるなら、俺が絶対に日本で広めてやるから、いっしょにやろうぜ」と。

そのときは年間1000着売れたらいいよな、なんて話していたのですが、ラルディーニ旋風は、そんなものでは終わりませんでした。


note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史

30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。

https://note.com/kotaro5