2026年 10月 29日
【第13回】ボリオリがマーケットから抜けた穴を埋めたのがラルディーニというブランドだった

ボリオリがトップブランドの地位を確固たるものにしていた2000年代後半は、今から考えればかわいいものですが、ちょうどユーロ高の時代。ぼくが担当していたサルトリア・パルテノペアやオラツィオ・ルチアーノというブランドの値段があがっていき、少しずつマーケットプライスからズレていました。
そこでぼくは、どういう商品がどんなプライスだったら店頭で売れるのかを、徹底的にリサーチ。そこで見つかった穴にこういうプロダクトを投入すれば絶対に売れるだろうという仮説を立てました。当時はまだ業界的にも「値段が高くてもいいだったら売れるはずだ」という根拠のない自信がはびこっていたのですが、リーマンショックも経て、すでにそういう時代ではなくなっていたんです。
そんなときにボリオリがアマンさんから離れて、価格を上げたりモードっぽい方向性にシフトチェンジするというニュースが流れてきました。ラルディーニでは、まさにその穴を埋めようと思ったのです。
その頃、ラルディーニに転職したエンリコ・アイロルディとは、営業マン同士、毎日電話で夜遅くまでミーティングを繰り返しました。「ラルディーニの最大の魅力とはなんなのか?」とか、「このクオリティのものをこの価格で収めれば絶対に売れるから、そのためにはこういう手法を取ろう」とか、その内容は多岐に及びます。

マルケ州の港町であるアンコーナで、
1978年に創業したラルディーニ。
イタリア屈指の技術力をもつファクトリーです。
その中でも大きかったのは、フィッティングの改革です。当時のラルディーニは1モデルにつき7〜8つものフィッティングがあり、それぞれのショップが選べるようになっていたのですが、それをやめてもらいました。あくまでフィッティングは選りすぐりのひと型にして、それをベースに調整したり、生地を載せ替える。「46だったらこういうシルエットです」とわかったほうが、全国のお客さんも選びやすいし、お店の人もおすすめしやすいですよね?
それ以外にも、ラルディーニには着丈やらステッチやら仕様やら、様々なことを注文しました。当然会社からは文句を言われていたようですが、すべてエンリコが調整してくれました。そういったコミュニケーションの繰り返しによって、ラルディーニのリブランディングは進んでいったんです。
note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史
30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。
