2026年 10月 01日
【第9回】セレクトショップ業界にコンプライアンスという言葉が存在しなかった時代

というわけでクラシコイタリアの全盛期だと思われている1990年代後半は、ぼくたちにとってはいわば黎明期でした。それらを売るセレクトショップの皆さんにとっても、ぼくたちのようなエージェントが扱う商材は、未知なる存在だったと思います。そこにもたくさんのドラマがありましたが、やはり当時は〝ガンガン仕入れて、仕入れたもんを気合いで売り尽くす〟という根性の時代だったと思います。ビームスさん、信濃屋さん、バーニーズニューヨークさん、ユナイテッドアローズさん、ジュングループのバセットウォーカーさん、九州のベイブルックさん、ドレステリアさん・・・。まだ情報の少ない時代に、皆さん本当に試行錯誤しておられました。
当時の日本はまだ景気がよかったし、日本円も強かったから、バイヤーさんのメンタリティも今とはだいぶ違って、訳のわからないものでもバイヤー個人が面白いと思ったら、とりあえず買っておく。今はネットでいくらでも調べられるからブランドとそのクオリティを組み立てて、とにかく慎重に判断しますよね。どちらがいいとは一概にいえないけれど、〝ゼロを1にする〟買い付けはしにくい時代だと思います。もちろんなんでも売れる時代はとっくに終わっていたから、支払いの滞った地方のセレクトショップさんまで直接回収に行ったことも多々ありますが・・・。それも我々の大切な仕事だったんです。
まだコンプライアンスという概念も皆無で、鉄拳制裁や売れ残った商品の自腹買いも当たり前。店長が若い子らに「今日の格好ダサいから今すぐ服買って着替えとけ」と命令することも珍しくありませんでした。スタッフさんもスタッフさんで、飲み会が終わって終電がなくなるとみんなでお店に泊まって、翌朝買ったシャツに着替えてまた店頭に立つ・・・みたいなことは当たり前のように許されていました。こういった逸話はまたまだたくさんありますが、とりあえず今日のところはここまでにしておきます(笑)。平成とはいえ、まだギリギリ昭和の匂いが残っている時代だったんでしょうね。
それにしても、当時のクラシコイタリア業界には、イタリアにも日本にも困った人や変わった人がたくさんいました。ぼくもひょっとしたら、周りからは変なヤツだと思われているかもしれませんし、確かにそれには一理あるんですが(笑)、お金のことと約束ごとはきちんとしようという点だけは、いつも心がけてきました。それでも守れなかったことやご迷惑をかけてしまったこともありますが、この仕事で今まで残ってこれたのは、そんな姿勢を少しは認めてもらっていたからなのかな?と思っています。

そんな調子でなんだかんだいってぼくのエージェント業は順調だったのですが、起業して約2年後には一度整理して、ぼくがこの仕事を始めるきっかけにもなった恩人である田島淳滋さんの誘いで、改めてリデアカンパニーに入社することになりました。
先述したように、田島さんがバルバ、サルトリア・パルテノペア、マルコ・ペスカローロの3社をぼくに譲ってくれたのは、アットリーニのエージェントを始める際に、仲が悪かったキートンと繋がりの深い3社を手放す必要があったから。しかしその後リデアカンパニーがアットリーニをやめてキートンを始めるという流れができたので、もうアットリーニに気を遣う必要がなくなってしまったんです。
当時のリデアカンパニーはイタリアブランドに関する情報を日本一持っていいる企業だったし、ひとりでやるよりも、いろんな経験を詰んだほうがのちのち成長できるな、という将来設計もありました。そんな理由で、ぼくは2000年末くらいからリデアカンパニーに入社し、ヒラの営業職として働くことになるのです。それでもまだ26歳。
ちなみに、ぼくが初めて起業した会社の名前は、今の社名と同じ「有限会社スピラーレ」でした。
note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史
30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。
