2026年 9月 24日
【第8回】クラシコイタリアの〝全盛期〟はぼくたちにとっては〝黎明期〟だった

当時のぼくは〝知らぬが仏〟じゃないですけど、どんなにキツイ仕事でもこんなもんやろって自分に言い聞かせながらやっていました。もともと気が強いタイプだったし、若いからといって周囲から舐められることもなかったと思います。あの頃の日本でイタリア語を話せる同業者はほとんどいませんでしたし、現地では一目置かれていたのかもしれません。
ぼくが口を酸っぱくしてイタリア人たちに言い続けてきたことって「こっちが間違っていたらこっちが責任を持つけど、あなたが間違ってたらちゃんと支払ってね」という極めて常識的なビジネスなんですが、ナポリ人の場合「こっちは仕事してるのにギャーギャー言うな」みたいな感じになっちゃうんですよね(笑)。
あとはナポリ人特有の人間関係にも苦しめられました。なぜかナポリ人って、横でやってることがすごく気になるようで「俺たちはあそこと仲が悪いからアイツとは付き合うな」とみたいなことが異常に多いんです。キートンファミリーとアットリーニファミリーの仲が悪いのが、その代表例ですよね。そんなときは「ヨソの家の晩メシに口出すな、アホ!」程度のことは言い返していたかな(笑)。さすがに今はもうちょっと丸くなったと思いますが、ぼくの仕事のスタンスはその頃からずっと変わっていません。当時から日本のバイヤーさんにも「別注のための別注なんてなんの意味もないじゃないですか」とはっきり言ってましたから。

今のスタイルとほとんど変わらないこのスーツを見るたびに、
クラシックなイタリア服のよさを実感させられます。
いわゆる〝クラシコイタリア〟のブームって、ファッション誌をよく読んでいる方にとっては1990年代後半ということになると思いますが、当時のマーケットなんて、今よりもずっと小さなものでした。そんな中でもバルバのシャツはめちゃくちゃ売れていました。代表的なヒットアイテムはドゥエ・ボットーニの『95』という襟型。実はあれ、のちに〝モデナの怪人〟として有名になるガブリエレ・パジーニさんが、自身で経営していたショップのために別注したものなんですよ。襟がやたらと高いボタンダウンシャツの『99-BD』も売れていましたが、これも彼が最初に始めたものです。
少し話は脱線しますが、あの時代を語る上では、台襟にボタンが2つ付いたシャツ・・・「ドゥエ・ボットーニ」の存在は欠かせませんよね。実はこのシャツを最初に始めたのは、ノルヴェジェーゼ製法を世に広めた靴デザイナーのステファノ・ブランキーニ説と、ガブリエレ・パジーニも働いていた「マクミラン」というブランド説があるんです。首を覆うような高い台襟と、ビシビシに入ったカラーステッチは、当時まだ誰も見たことがなかったから、かなり新鮮でした。さすがにバルバは3つボタンの「トレ・ボットーニ」までは手を出しませんでしたが、インパクトあるから格好よく見えたんですよね。ただ、そんな時代の徒花である「ドゥエ・ボットーニ」だって、トレンドアイテムとして雑誌に掲載されていた頃はさほど売れていなかったんです。
つまりひとつのファッションが本当に大衆にまで届くのって、メディアに掲載されなくなった頃なんですよね。
note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史
30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。
