【第5回】キートンとバルバは親戚だった!?
1990年代のファッションバイヤーは、〝わからない〟モノこそ買っていた。

あの頃のフィレンツェにはまだ個人経営のセレクトショップがたくさん残っていましたが、今では「プリンチペ」くらいでしょうか。寂しいですよね。今でもよく覚えているのは「エルマンノ・ダエリ」というショップです。デニムとジャケットにアスペジのダイヤキルトのダウンとか、カスカスに色の抜けたバブアーの「ビデイル」を羽織るような提案のお店だったんですが、ここはカッコよかった。そうしたお店を通じて、フィレンツェのリアルなお金持ちのスタイルを学ばせてもらいました。「マウロ・ボルポーニ」という、異常なまでの品揃えを誇った靴屋さんとか、面白いお店がたくさんありました。

当時のぼくは留学生だったので本当は働いたらダメなんですが、いろんなバイトをしました。そのなかのひとつが「ストラスブルゴ」のイタリア出張のお手伝いで、お世辞にもクオリティの高い仕事なんてできませんでしたが、このお仕事を通して、ぼくはイタリアブランドの社長さんたちと仲良くなり、そのものづくりの奥の奥まで知ることになります。

イタリアのメンズファッション業界における1990年代って、ある意味特別な時代で、自国のバイヤーも調子がよかったし、日本やアメリカにとってはクラシコイタリアの黎明期だから、物珍しさからバンバン買い付けしまくっていたんですよ。当時のバイヤーにとっては全く知らないブランドばかりだったけど、絶対に置きに行かない。「なんやわからんけど買っとけ」みたいな感覚です(笑)。今みたいに、前例となる数字がありませんからね。

今や世界的な高級ブランドになったキートンだって、当時はまだ〝ファクトリー〟という位置付けで、みんな気さくで一生懸命働いていて、すぐに気が合いました。その親戚筋のファクトリーだったバルバとも、そのときからの付き合いです。実はバルバはもともと町場のパジャマ工場だったんですが、キートンの成功を見て高級シャツ事業に切り替えたんですよね。これらのブランドの創業者一族とは、なにもない時代から一緒にのし上がっていったような感覚を共有しているので、いまだに心が通じ合っていると思います。いつだったか、バルバの共同経営者のマリオ・バルバとナポリに行ったときは、ディスコでウォッカを4本開けて、次の日に仕事にならなかったなあ(笑)。


note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史

30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。

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