2026年 9月 10日
【第6回】大阪市営地下鉄で壁を磨いていたぼくが、
バルバのエージェントになった理由

そんなこんなで、とにかく楽しいイタリア留学生活を過ごしていたぼく。このままイタリアに残って仕事をするという選択肢もあったんですが、現地で出会った観光客のおばちゃんに「とりあえず大学だけは出ておき」と諭されたこともあり(笑)、とりあえず卒業だけはすることに決めました。帰国して一番最初にした仕事は、大阪市営地下鉄の壁磨き(笑)。たまにイタリア人が来たときに、通訳をさせてもらっていましたが。
そんなときに、「ストラスブルゴ」の創業者である田島淳滋さんから、ちょっと興味深い話を伺いました。
アットリーニの代理店をやりたいけれど、その条件として「バルバとサルトリア・パルテノペア、マルコ・ペスカローロの代理店を辞めること」を提示されていると。単純にこれらのブランドと仲が悪かったんですよね(笑)。特にアットリーニとキートンの仲の悪さは、ファッション業界では有名でした。そして、「これらの3つのブランドが浮くことになるから、お前やってみれば?」と。
そこですかさず「じゃあ会社やりますわ」ということで、ぼくはすぐにアルバイトを辞めました。それが、ぼくがこの仕事を本格的に始めるきっかけです。
今思えば、20代前半のぼくは、普通の留学生では絶対できないような経験をたくさんさせてもらえました。だからといってファッションやものづくりの本質を理解できていたかというと、そこまででもありません。まだまだ記号に引っ張られることも多かったですから。
ただ、誰よりもものづくりの現場の奥深くまで行けていたし、そこで働く技術者たちとコミュニケーションをとってきた自負だけはありました。ぼくが得てきた知識は生の現場で得たものであって、雑誌や商品説明会で聞きかじったうんちくじゃないんですよ。
note | 神藤光太郎のクラシコイタリア秘史
30年近くに及ぶキャリアの中で得たものづくりに関する知見や、国内外のつくり手たちとのネットワークを駆使して産み出した、リアリティとハイクオリティの極致を、noteでお話していこうと思ってます。ぜひご覧ください。
